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作者
(古画) 高久 靄厓(たかく あいがい)
作品名
「淡彩渓山尋句図」
技法
日本画
形態
掛軸
素材
和紙に岩絵の具
サイズ
縦幅
全体:タテ105.4×ヨコ68.5cm
※縦の長さは上部の掛ひもを含みません。横幅の長さは軸先を含みません。
(作品:タテ35×ヨコ57.5cm)
状態
表装の裏部分(総裏)にシミ・ヤケ・浮きがあります。
画中に経年による多少のシワ・折れがあります。
表装に多少のシワ・反り・ヤケ等がありますが、いずれも鑑賞には問題ない程度です。
※古画のため、あえてそのままの状態にしています。
備考
軸先は木製です。
庄川松陰による鑑定箱です。
※鑑定箱とは、作者本人ではなく弟子や親族、または関連する絵師によって
作品が鑑定され、箱書きをされたものです。
画賛部分:
行到水窮処(ゆきてはいたるみずのきわまるところ)
坐看雲起時(ざしてはみるくものおこるとき)
王維の詩の一節。
山の端を逍遥して、いつのまにか川の流れの尽きる所にたどり着いた。
腰を下ろして無心に雲の湧き起こるのを眺める。
無心にして自然と一体化した悠々自適の境涯を詠った一節。
お薦めの季節
年中
【略歴】
高久靄厓 たかくあいがい
寛政8年(1796年)-天保(てんぽう)14年(1843年)
江戸時代後期の画家。
下野(しもつけ)(栃木県)出身。
谷文晁に師事。
池大雅を私淑(ししゅく)し、元(げん)・明(みん)の画を研究。
独自の文人画を描いた。
蛮社の獄で投獄された渡辺崋山(かざん)の救出につとめた。
天保(てんぽう)14年死去。48歳。
名は徴。字(あざな)は遠々、子遠。
通称は秋輔。
号は靄厓のほかに石窟、如樵、石窠学、梅斎、疎林外史、学梅斎、晩成山房、柯九など。
庄川 松陰 しょうがわしょういん
安政2年(1855年)-昭和6年(1931年)
越後(現在の新潟県)に生まれる。
画を福島柳圃に学ぶ。別号は世張など。
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